SKATEBOARD
1977年生まれ 東京都江東区出身
11才にてスケートボードを始め、現在スケート歴35年(2023.7月現在)。2001年にスケートボード専門誌「Wheel magazine」にて"SKATER OF THE YEAR"受賞。また2002年にThree's film worksより発売されたビデオ「CMYK」のパートが、その年のスケートボード専門誌「TRANSWORLD SKATEBOARDING JAPAN」の"2002 BEST VIDEO PART"を受賞。さらに翌年の同誌で"2003 STREET SKATER OF THE YEAR"を受賞する。
そして現在までに多くのハードウェア、ベアリング等ブランド立ち上げ時のアンバサダーを務める。また長年サポートを受けているシューズブランド「Emerica」ではプロモーションビデオ「This is Skateboarding」「Stay Gold」にもインターナショナルパートにてライディングを披露している。
現在では長年培った経験を元にYouTubeにてスケートボードのHow To チャンネル「くまトレ」を配信しながら、家業である裏千家茶道 熊野宗寛として、スケーターと茶道家の二足のわらじで活躍中。
SOCCER
1997年生まれ 東京都江戸川区出身
ポジションはDF(左サイドバック)。兄の影響で5歳からサッカーを始め、中学生でジェフユナイテッド市原・千葉の下部組織に入団。2013年のU-16日本代表選出を皮切りに世代別日本代表に継続して招集されるようになる。
2015年にはジェフユナイテッド市原・千葉のトップチームに昇格し、その後、FC琉球やギラヴァンツ北九州、ウクライナのFCゾリャ・ルハーンシク、クロアチアのNKヴァラジュディンといった国内外の様々なチームでプレーする。クロアチアリーグでは日本人選手として最長在籍の記録を持つ。(2022年時点)
2023年にはスロベニアの名門クラブ NKマリボルへ移籍。2026年のW杯出場を目指し、今日も慣れない異国の地でトレーニングに励んでいる。
KARATE
1999年生まれ 高知県幡多郡出身
8歳で極真空手と出会い、当時やっていたサッカーを辞めて極真会館大石道場に入門。
厳しい指導の下、日々稽古を積みながら全国各地の大会に出場し小学6年生で全国大会8位入賞を果たす。学業と両立しながら選手を続け高校2年生の時に全日本大会、世界ユース大会にて優勝。
全国・世界チャンピオンになるもより高い競技レベルを求め正真正銘の全国・世界トップレベルの選手が集まる一般部門へ転向。全国大会3位入賞を果たす。その後、本格的に空手の道を歩もうと決意し伝説の空手家 大石代悟範士の内弟子となる。
現在は全日本チャンピオン・世界チャンピオンという夢の達成に向けて日々稽古に打ち込むと共に極真空手の伝統伝承の為、空手道場を運営し、二足の草鞋で夢を追い続けている。
CHAIR SNOWBOARD
1979年生まれ 北海道倶知安町出身
18歳でスノーボードと出会い、北海道というスノーボーダーにとって最高の環境で過ごす。
2010年、スノーボード最中の事故により第10胸椎を損傷し、チェアスキーに転向する。
2014年、辰己博実氏にアドバイスをもらいチェアスキーの板の部分にスノーボードをつけられるよう自作で改良し、友人や知人、プロスノーボーダー達の熱い支援を受けて『チェアスノーボード』としてスノーボードの再出発を果たす。
再出発から現在に至るまでギアの細かい改良を重ねて試行錯誤し、チェアスノーボードのパイオニアとしてニセコエリアを中心に精力的に活動中!
KEIRIN
1976年生まれ 福島県東白川郡出身
日本競輪学校 第78期卒業。日本競輪選手会福島支部所属。
父親の影響で幼少期より競輪に興味を持つ。高校2年生の頃に父親と訪れた第36回オールスター競輪を見て感銘を受けて、競輪選手になることを決意する。
1996年8月いわき平競輪場でレースデビュー、初勝利を飾り、その後もスタミナと脚力を存分に生かした先行戦法で順調にS級まで昇りつめるも、先行戦法に限界を感じ、憧れの戦い方であった追い込み戦法へ転向する。
2003年のG1レース「全日本選抜競輪」で、G1初となる優勝を果たしトップクラスの地位を確立すると、2004年に開催された全てのG1レースで決勝まで進出し、2004年には「共同通信社杯競輪」、2005年には「ふるさとダービー」で優勝する。2006年までは4年連続で「KEIRINグランプリ」に出場をしている。
2008年にレース中の落車によって肋骨、足首を骨折する大怪我を負ってしまう。またレース形態や使用するギアの変更といった競輪のルール変更の影響で、長いスランプへ突入してしまう。懸命なリハビリやトレーニングを経て、2011年前期から競輪選手約2300人の中のわずか9名のみが選ばれる(当時は18名)「S級S班」へ昇格を果たす。
一度は「S級1班」へ降格してしまうが、これまでのトレーニング内容を全て見直し、2019年には賞金上位となり、13年ぶりの「KEIRINグランプリ」出場が決定、9年ぶり2度目となる「S級S班」へ昇格を果たす。そして12月30日に行われた「KEIRINグランプリ2019」では、43歳1ヶ月という歴代2位の高齢優勝記録で初優勝を飾る。
2020年7月には通算400勝を達成し、2022年までKEIRINグランプリに4年連続で出場している。「限界?気のせいだよ!」のキャッチコピーをテーマに2023年現在もS級S班の最年長として、鍛え抜かれた鋼の肉体を武器に2度目の「KEIRINグランプリ」制覇を目指し、最前線で戦っている。
SKIING
北海道伊達市出身
プロスキーヤー・冒険スキーヤー/Professional skiyer 元アルペンスキー全日本代表(滑降・スーパーG)
中学生よりアルペンスキーで頭角を現し、ジュニアオリンピック(大回転1位・スーパー大回転1位)北海道選手権大会優勝、世界ジュニア・ウィスラーカップ(回転4位・大回転1位・スーパー大回転2位)、などジュニアのタイトルを総なめにし、1996年には全日本スキー選手権大会で滑降・スーパー大回転の2種目優勝し、全日本ナショナルチームに入り、FISレースやヨーロッパカップなどを転戦。
1998年の長野五輪・アルペンスピード系候補選手に選出。しかし、日本チームとして滑降競技出場を見送ったため残念ながら五輪出場は叶わず、一時期スキー競技から離れる。その後、6年間スキーとスポーツから離れたのち、一般企業でOLとして働くも、スキーへの情熱を取戻し、冒険スキーヤー・基礎スキーヤーとして再びプロスキーヤーの道を歩みだす。
2008年にチームホンダ隊に入団し、8月5日(ネパール現地時間7時59分)、極西ネパールにあるヒマラヤ未踏峰5400m登頂&世界初スキー滑走に成功する。2009年にはチームホンダ隊・幻の冬虫夏草のある西ネパール・未踏峰ヒマラヤ7000m級へ挑戦したが、5500m付近で隊のアクシデントがあり撤退を経験する。2011年にはチームホンダ隊・西ネパールにあるラルキャピーク山付近にあり、8000m峰のマナスルが横に見える無名峰でもあり未踏峰ヒマラヤ6056m峰に登頂と同時に世界初スキー滑走成功する。また基礎スキーでもアルペン高速系で日本一になったポテンシャルを生かし2011年の総合11位となり翌年にはSAJデモンストレーターに認定される。
2015年の全日本スキー技術選手権大会12位(種目別6位)を最後に競技から離れ、これまで培った様々な経験を元に冒険スキーヤーとして国内の山はもちろんのこと世界各国の山々を滑っている。常に自分の体とスキー技術向上の為、様々なトレーニングをこなしながら、持ち前の笑顔と滑る事の楽しさを技術と一緒に、国内と国外問わず多くのスキーヤーに教えている。
北海道道北エリア(旭川)を拠点に、冬のホワイトシーズンはパウダー&ゲレンデスキーレッスン、雪山アンテンド、アルペンスキーレッスン、夏のグリーンシーズンはマウンテンバイクツアー、グラベルロードツアー、ロードバイクツアー、SUPツアーなど行い、アスリート向けにも一人一人に合った目的のニーズ合わせたシリアスなメニューとウェイトリフティングなど多様性に組み合わせたトレーニングを提供している。
BEACH FLAGS
1992年生まれ 東京都江戸川区出身
中学高校では水泳部に所属。大学入学時は部活に所属していなかったものの、大学1年の冬、高校の水泳部時代の知人からビーチフラッグスの映像を見せられ、この競技で世界一になりたいと強く思い、その数日後にライフセービング部に入部する。
人生において何かで世界で一番になりたいという思いから、ビーチフラッグスに取り組み、競技キャリアをスタートした2013年には全日本ライフセービング種目別選手権第6位の結果を出す。2015年には全日本選手権ビーチフラッグス第3位で初のメダル獲得、ライフセービング大国オーストラリアクイーンズランド州大会ファイナリスト、そして世界最高峰の競技会である全豪選手権でTOP10入りを果たす。
それ以降も着実に実力を伸ばし、キャリアスタートから現在に至るまでで、全豪選手権ファイナリスト(2017,2023)、クイーンズランド州大会3大会連続ファイナリスト(2014~2016、日本人史上初)、全日本選手権 準優勝(2018)、神奈川県選手権優勝(2014,2017,2023)の結果を残す。
現在は国内でのビーチフラッグスをはじめとするライフセービングスポーツの普及や発展に努めながら、自身の目標である日本一、世界一を目指し、日々トレーニングを行っている。ライフセービングの活動以外にも子供たちに運動の楽しさを伝える水泳やランニングのコーチングも行っている。
SKATEBOARD|SNOWBOARD
1975年生まれ 大阪府八尾市出身
“HASSY”のニックネームで長年親しまれてきた、プロスケートボーダー&プロスノーボーダー。スケートボードでは過去に3度の全日本チャンピオンに輝く。
大阪と長野を拠点に、冬はホームマウンテンである北信五岳の山々をベースに探求しつつ、これまで日本各地からアラスカ、ヒマラヤ、南米(アンデス)に至るまで数多くの斜面にラインを刻んできた。スケートボードで長年培ってきたオールラウンドに対応できるスキルで、困難なセクションを滑らかにクリアしていく姿に魅了されるファンも多い。
ここ数年はこれまで経験してきた横乗り遊びを伝えるために、夏は「高め合ってそれぞれの『自分超え』」をテーマに、Endless skateboarding session 『EIGHT GROOVE』主催、冬はホームマウンテンの北信五岳エリアで大自然と共にのびのびとローカルラインを滑る、平日限定ゲレンデセッション『Weekday雪Asobi』を主催している。
持ち前のポジティブでオープンなマインドで、近年は登山やキャンプに家庭菜園、SUPやサーフィンなど、ストリートから大自然に至るまで一期一会の出会いすべてを楽しみつくしている。
FREEDIVING
1986年生まれ 東京都出身
幼少期から御蔵島のイルカと泳ぎフリーダイビングの素養を身につける。高校在学中に初めてフリーダイビングスクールに参加し、2007年に行われた公認記録会においてCWT(垂直潜水)初挑戦にして-35mの成績を残す。
その後も着実に記録を伸ばし、2010年に沖縄で開催された世界選手権大会での総合優勝を皮切りに、フリーダイバー日本代表選手として国内外の大会で数々の日本記録を樹立していく。世界選手権では日本代表チーム「人魚ジャパン」のメンバーとして3度の金メダリストに輝いている。
2017年の国際大会にて、-103mへの深度潜水の世界記録を樹立する。深度100mを越える記録は世界史上2人目、そしてアジア女子では史上初の快挙となった。続く翌年2018年には-106mへの潜水を成功させ、再び当時の世界記録を樹立した。
現在も新たな世界記録更新を目指し競技活動を行うかたわら、フリーダイビングのインストラクターとしても全国各地でフリーダイビングスクールやレッスンを行い、後進の選手育成にも努めている。
OUTDOOR GUIDE
1982年生まれ 長野県野沢温泉村出身
幼少から野山で山菜取り、海川湖での釣りを通して自然に慣れ親しみ、雪山ではスキーに取り組む生活を過ごす。学生時代にクロスカントリー部を経て、中学3年生の時に開催された長野オリンピックで正式種目となったスノーボードハーフパイプをTVで知り、やりたかったのはこれだと衝撃を受ける。
高校生になり憧れのスノーボードを始め、上達するために向かった斑尾高原で滑っていたインストラクターに影響を受け、検定に興味が湧きインストラクター資格を取得する。高校卒業後も雪を追い求め、単身でニュージーランドやカナダへスノーボードの修行に行き、海外でのインストラクター資格取得の後、通年通してスノーボード中心の生活を送る。
25歳の頃、海外でのインストラクター経験を経て、アウトドアガイドの先輩の紹介で群馬県みなかみでラフティングをメインとしたアウトドアカンパニーの門を叩く。本気で自然と向き合い、いろいろなことに挑戦している仲間に影響を受け、多様なアウトドアガイドの基本を学び、夏はアウトドアガイド、冬はインストラクターとして活動する。その後、大会を経てSAJスノーボードデモンストレーターとして活躍していく。
長野県白馬村に拠点を移し2014年よりアウトドアガイドサービス「Mauka outdoor」を設立し、妻福島のり子氏と共に夏はSUP、冬はスノーボードやスキーをメインに「安全に楽しく」を念頭に、1年を通してアウトドアの魅力や自然遊びの楽しさを伝えている。
SKING
1979 年生まれ 長野県白馬村出身
白馬村岩岳スキー場の麓、代々続く農家民宿である【lodge やまじう】の長女として生まれる。
3歳からスキーをはじめ、その後アルペンスキー選手として国内外のレースで活躍する。2004年にスキークロスへ転向し、同時にバックカントリースキーも始める。
2006年の全日本スキー技術選手権大会では初出場ながら6位に入賞し、新人賞を受賞。2007年にはWinter X games4位入賞、また日本人女性スキーヤーでは初となるアラスカでのシューティングを行う。2010年に開催されたバンクーバーオリンピックにはスキークロス代表として出場する。
2011年に結婚、2014年にアウトドアガイドである夫の福島格氏と共に白馬をベースに【Maukaoutdoor】を設立する。グリーンシーズンはSUPをメインに、ウィンターシーズンはスキーやスノーボードのレッスン、ガイドツアーを行っている。またSalomon, Fullmarksのサポートを受け、各種シューティングにも参加している。
家業である民宿【lodge やまじう】の運営にも携わりマウカアウトドアとやまじうのダブル女将を務めながら、スキーが好きすぎる3児の母として多忙な毎日を過ごし、四季を通して白馬の魅力を発信している。
TRAIL RUNNING
1985年生まれ 北海道函館市出身
高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。2年間の勤務の後、オーストラリアへと渡る。帰国後しばらくして、トレイルランニングのレース「おんたけウルトラトレイル2010」に参戦。初レースながら20代女子3位に入賞する。初レースでの入賞を皮切りに様々なトレイルランの大会で活躍する。
「信越五岳トレイルランニング2017 110k→50k」優勝、「Maxi-Race China Yangshuo201725k」優勝、「Cairns marathon2022」優勝など、国内外の大会で優勝や上位入賞を数多く果たす。
2021年にはネパールにある6,119mロブチェピークイーストへの登頂達成。フルマラソンでは「2時間54分41秒」、ハーフマラソン「1時間21分59秒」という記録を持つ。
BOXING
1987年生まれ 千葉県市川市出身
日本体育大学卒業後、大手フィットネスクラブ数か所でのトレーナー経験を経て、パーソナルトレーナーとして独立。様々なクライアントに運動指導を行ううちに『運動のみで満足な健康・美容効果を獲得すること』へ疑問を感じ、栄養と食生活について勉強を始める。
分子整合医学との出会いをきっかけに、指導にファスティングを導入。フィットネスとファスティングを融合させたメソッドを提唱し、栄養指導の面やトレーナーとしてボクシング界と関わる。
関わっていく中で“自分もリングの上で戦いたい”という気持ちから2017年プロテストに挑戦し、見事合格。2017年12月よりプロボクサーとしてのキャリアをスタートする。現在、9戦5勝(2KO)3敗1分で日本女子フェザー級1位まで登り詰め、初のベルト獲得を
目指す。
プロボクサーやトレーナーだけではなく、千葉県浦安市にある「Rubia」のオーナーとして、ヘルシーで体に優しいスイーツを考案し、運動と栄養の両面から健康づくりを提案している。
SNOWBOARD
1980年生まれ 沖縄県出身
19歳でスノーボードに出会い、スノーボードクロスの競技プロ活動を経て、バックカントリーのガイドへ。ガイド歴10年目を迎える。
自然の中にいることの方が自身に合ってると思い、32歳で長野県に拠点を移し、四季を通したアウトドアを職業に、登山ガイド・ラフティングガイド・バックカントリーガイドとして白馬や新潟をメインに活動中。
2015年に結成したガールズアウトドアチーム「nuts」の一員としても活動を行い、2015年には香港トレイル170キロを完歩、2018年には900キロに及ぶ、スペインのロングトレイル「フランス人の道」を33日間で完歩している。
2022年の冬にはツアーの下見中に半月板断裂の大きな怪我を負ってしまうが、懸命なリハビリの末、無事に復活を果たしている。
YOGA
1984年生まれ 福岡県出身
大学卒業後サービス業に従事するも知人の勧めでヨガを知る。それまで特に目的もなく流されるように生活していた自分に疑問を持っていたが、ヨガに出会い、ヨガを深める中でそれが晴れていくのを感じる。そんな人生の価値観を変化させていくヨガの力、そして人と人を繋げていくヨガの力に魅せられ2011年、ヨガ講師へと転身。スタジオ運営やティーチャートレーニングの講師を担当する。
その後、自身のヨガ、自身の人生を更に探求すべくフリーに転身。同時期にボディワークの学びもスタートさせ、セラピストとしての活動も開始する。Odaka Yogaの創始者であるロベルト・ミレッティとフランチェスカ・カッシアに師事をし、現在ではOdaka Yoga正式指導者/Education Teamとして活動。アジア最大級のヨガイベント、ヨガフェスタ横浜2015以降・紹介文最後の「ヨガフェスタ横浜2015以降」の続きを講師として様々なイベントへ参
加したり、自身でイベント主催やオンラインや対面でのヨガクラスを開催している。